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米国政府に対する「沖縄問題」打開への提言

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評論家 恵隆之介

目次

 プロローグ

一 沖縄県民の習性について

二 沖縄リーダーの実態

三 在沖米軍司令官の苦悩

四 沖縄はさらに混迷する



 ※プロローグ

 二十一世紀、アジア冷戦のテンションは確実に高まりつつある、この矢先、その最前線にある沖縄で徒に米軍基地の機能を逓減させようとする動きがある。
  万一日米両国がこの分析と対応を誤れば日米関係みか東アジアの安全保障に重大な影響を及ぼすことになる。このためこれを回避するためにレポートを急ぎ作成した。
  沖縄県民を始め日本人の行政能力は今や危機的状況にある。日本は第二次世界大戦後日米安全保障条約の結果、五十六年間一度も戦争を体験せず、また戦後復興を果たした後は国家目標を構築できないでいる。加えて戦後開始された「平和・平等主義」教育は戦略的思考のできるエリートの育成に失敗した。
  日本は改革すべき様々な問題を先送りしてきたが、今やそれが限界に来ている。沖縄政策もその一つである。
  沖縄では住民が首長や議員を選出するとき候補者がどれほどの能力があるかではなく、ゴルフや冠婚葬祭などの行事にいかに積極的に参加しているかなどの人気で決める。従って沖縄の政治家には勉強する時間がない、加えて最近彼らの政治スローガンには「基地縮小」「海兵隊削減、撤退」と言う文言を入れるのがムードになっている。
  もはやこのような大衆迎合な政治家と沖縄地元大学には東アジアが今後どういう展開をするか、安全保障がいかに大事かといった研究をする意志もリーダーシップも期待できない、そして沖縄政治家や地元マスコミにとって基地問題に対し強硬発言することが自己ピーアールの手段ともなってきた。 
  一方日本政府や沖縄に来る日本の政治家は問題をこじらせたくないので、沖縄の世論におもねる発言をする。こうして沖縄の反基地運動は恐竜の様に肥大化してきている。
  ところで日本は日米戦争の敗戦の結果、軍事アレルギーが未だに強い、とくにマスコミがそうだ。そして国内には戦前とった対朝鮮、中国政策に強い贖罪意識がある。このテーゼが今度は沖縄問題に転用され、左翼勢力から「在日米軍基地の七十五%が沖縄に集中している」とか、「琉球王国(沖縄の中国名)が日本の侵略を受けて滅びた」などと言われると、政府は沖縄にやみくもに補助金を増やしている。一九七二年から二〇〇〇年までの二十八年間に実に一〇兆四0一八億円を投入しているのだ(中国ODAの約四倍)。
  沖縄県民は言語学上も明らかに日本人であり、沖縄は一八七九年の日本帰属まで少数の中国系移民の統制下にあった。そして大部分の住民は共産主義体制下で農奴として呻吟していたのである。
  米国は、ソ連の崩壊の結果、脅威と緊張が去り、軍のモラルは弛みがちである。加えてクリントン政権時代の軍人給与の減額、米本国内の好況の結果、優秀兵士の募集は容易ではないと思われる。
  日本もこれと似た時代があった。第一世界大戦終了後の大正時代、そして戦後の高度経済成長時代である。とりわけ日本の自衛隊もこの時代指揮官は絶えず苦悩させられた。良質な隊員がなかなか集まらず、いったん彼らを外出させると想像もつかない事件事故を起こすことが度々あったのだ。
  私もこの頃海上自衛隊の士官であったが、隊員を外出させる度に「事件を起こさないでくれ!」と神に祈る気持ちで見送っていた。
  こういう時代だからこそ日米両国が緊密に連絡を取り合い、理解を深め、英米関係の様な成熟した関係を築くべきである。その際沖縄米軍基地の安定運用の為にも日米両国民が沖縄の真相と県民性を熟知し、冷静に対処する必要がある。

一、沖縄県民の習性について

 沖縄に展開する在沖米軍兵士の約六十%一万五千人は米海兵隊である。今年一月二十三日、午後十二時頃その最高指揮官兼在沖縄四軍調整官のヘイルストン海兵隊中将が麾下海兵隊指揮官十三人宛に兵士の指導、綱紀粛正を厳命する電子メールを発した。 ところがその文中に稲嶺恵一沖縄県知事や吉田勝広金武町長を評して「Ithink they are all nuts and a bunch of wimps」(彼らは変わり者で意気地がない)と表現した。
これには訳がある。一月九日午後七時半、海兵隊員が金武町の民間地域で花壇に腰掛けている女子高校生のスカート下部を撮影し、そのボーイフレンドを含む男子高校生の一団にとりおさえられた。
  本件は一月二十五日、「条例違反」と五万円の罰金という微罪で解決した。ところが地元マスコミは事件発生後三日目の一月十二日から「女子高校生へのわいせつ事件」と断定し、彼女の保護者の意向をも無視して一方的に報道を続けた。
  沖縄県民は平和を愛すると言うが、暴力団員の数は人口十万人あたり六三人と全国平均の一、八倍を記録しており、レイプなどの凶悪犯罪を犯す率も全国的に高位にある(一九九六年など沖縄県内の婦女暴行事件の発生率は人口一万人比で0.二九と日本ワースト一を記録している)。
  話を元に戻そう。
  事件発生から二日目の一月十一日には当事者の米兵の所属するキヤンプハンセン(金武町在)の基地司令官マイケル・C・オニール海兵大佐が金武町長に謝罪した。ところが金武町議会はその翌日十二日、「(在沖縄)海兵隊の削減」の決議案を満場一致で可決し、続いて名護市議会が一月十五日に、こともあろうに沖縄県議会が十九日に同様に可決したのだ。
  そればかりではない、金武町長は一月十四日に上京して防衛庁の佐藤謙事務次官に同様の意見書と抗議文を手渡した。そしてこの日、自民党の古賀誠幹事長までが共同通信加盟社論説研究会で、「米海兵隊の削減を検討する」というコメントを発しているのだ。
  これに勢いづいた左翼は海兵隊撤退論を主張しつつある。
  実はヘイルストン中将のメールの中にはこういう表現もあった。
  「最近の金武町での出来事が拡大解釈されていることを話そう。うわべだけ我々の友人を装う地元の人間が我々を支持あるいは弁護しないことをいいことに、反基地主義者らが言いたい放題我々を攻撃する自由を与えられている。
  この状態については先週、知事、両副知事、吉田町長、ある国会議員が『これはまずい事態だが、みなさんの努力は理解しているし、感謝しています』と私に直接言ってくれた。にも関わらず県議会が海兵隊削減をするのを弁護も何もせずに傍観していたのだ。」
  ところが地元紙「沖縄タイムス」「琉球新報」のうち琉球新報が二月六日に県知事や金武町長を批判した箇所を抽出し、「彼らは頭の悪い弱虫だ」と訳した。そして「沖縄県民を侮辱した中傷メール」と大きく報道したのだ、そして沖縄タイムスがこれに追従し騒ぎは拡大したのだ。
  そもそも琉球新報の編集局長高嶺朝一氏は一坪反戦地主であり、地元二紙は昨年七月、沖縄サミットの直前にもほぼ同時期に「米軍人の犯罪率は(県民)の一〇倍」という捏造記事を掲載していた(出所は弁護士で一坪反戦地主の新垣勉氏)。ところがこれが発覚して両紙共取消記事を載せることになったその時琉球新報だけは又「犯罪率は民間、米軍人らともほぼ拮抗」と捏造していたのである(真実は県民の二分の一以下)。
  ヘイルストン中将のメール内容をめぐって左翼勢力や地元紙は中将の更迭を主張し、地元選出の仲村正治内閣府副大臣までもが同様に発言している。そればかりか仲村代議士は「(沖縄米軍基地が)冷戦時代のまま続いているのがおかしい」として在沖米海兵隊の削減にまで言及しているのだ。
  ところで自民党沖縄県連幹事長の西銘恒三郎氏や地元マスコミは、「海兵隊削減は県民の総意」と言っているが果たしてそうか?ここに驚くべき事実がある。
  一月十九日、那覇市議会でもこの海兵隊削減の議案が議論された、ところがここでは一人の勇気ある議員が「事件の真相が曖昧」と慎重審議を呼びかけ、二、三の議員もこれを支持したため議案は可決されなかった。問題はその後である、この市議の自宅へは左翼勢力やマスコミ関係者から抗議や嫌がらせのFAXが入り、自宅周辺には「恥知らず、議員を辞めろ」等の貼り紙が四カ所にわたって貼られていたのである。
  私はこの一連の動きに沖縄文学の祖伊波普猷氏がその著「古琉球」(一九四二年刊)で指摘した沖縄県民の最大欠点、「事大主義」をほうふつさせられた。金武町のキヤンプハンセンや名護市のキヤンプシュアーブ、いずれも今の世代の親達が誘致運動をして建設されたものである。
  ところで一九六0年代前半まで沖縄住民の対米軍感情は現在とは対照的なものがあった。住民の方から「米琉親善」を謳い、地元紙二紙も米兵の事件事故に対して住民と同格に扱い、客観性を持って報じていた。それ以前一九五五年初頭、米第三海兵師団が日本本土から沖縄へ移駐してきた、そして戦後二回目の軍工事ブームで沖縄経済は好況に沸いた。
  そのとき地元紙も反対するどころかかえって好意的な記事を掲載していたのである。
  沖縄戦の直前、県民は一九二0年にニコライエフスクでロシア兵に多数の日本軍人や民間人が惨殺されたことを知っており、「白人は残虐だ」という固定観念があった。ところが上陸してきた米軍人の人道的援助にすっかり心を許し、戦前の共産党員までがプロアメリカンになっていたのである。
この結果戦後沖縄にとって二十七年間にわたる米国の投資と米軍統治は沖縄の安全保障のみかその振興に多大な業績を残すことになった。とりわけ戦前日本が持て余していた沖縄のデフレ要因、近親婚や不衛生な生活習慣、そして守旧頑固、男尊女卑の因習をことごとく吹きとばしてくれたのだ。
  これは数字にも証明される。戦前沖縄県民のバランスシートは(一九三八年)オーバローン状態で、預金合計約六四0万円(旧円)に対し、借り入れ金合計約一六五十万円、その比率は沖縄戦開始まで拡大の一途をたどっていたのだ。ところが一九七二年復帰時点では、預金合計約三三六五億千三百万円に対し借入金合計二八九六億五千万円と好転している。人口も戦前のピーク五九万七千九百二人(一九三七年)から復帰時には六〇,五%上昇し、九五万九千六百十五人を数えるに至っていたのだ。
筆者の母も戦前小学校しか出れなかったが、戦後基地内のスクールで英語とタイプライターを学び、その後事業を始めて香港、台湾、東京を飛びまわりキャリヤウーマンの先駆を果たしていた。この頃沖縄各地の塾には英語を学ぼうとする青年男女で溢れていた。まさに戦後沖縄は米国版のシンガポールになろうとしていたのだ。
  ところが、一九六0代後半に入ると県民自ら歴史を逆回転させるようになる。ベトナム戦争の後半から地元マスコミや大学が日本の左翼運動家に連動するようになったのが主因だ。そしてニクソンショックによってドルが対円レートで急落すると沖縄県民の米国熱は急速に冷めていった。さらに復帰後の補助金漬けの日本の施策は折角芽生えていた県民のベンチャー精神をも奪った。
  一方琉球新報はかって「米軍のヒュマニズムに感謝」などと報じていたものが(一九六三年八月)、今や米軍の善行に関しては決して報道しない。
例えば昨年十一月十三日、キャンプキンザー(沖縄県浦添市所在)の司令官ポール・R・パケット海兵隊大佐が脳梗塞で死去した。その直後大佐の臓器は、九州の在住の二人の日本人に提供された、米軍人による初めての臓器移植である(NHKラジオ十一月二十七日全国報道)。そればかりではない、県民は多くの在沖米軍兵士がドナーカードにサインを既に済ましていることや、失踪した沖縄児童の捜索に参加しょうとした米軍人ボランテアが市の労働組合員に追い返えされた事実など知る由もない。
  ここで注意しなければならないことはこの地元紙二紙の合計シエアーが県内で九七%を占めていることだ。この強みは沖縄では人が死ぬと紙面に広告を出し、当人の生前の肩書きやその関係者、そして親戚、知人、友人をできるだけ多く掲載する習慣がある。この広告料がべらぼうに高いのだ(日本本土では個人のみ掲載、その際料金は無料)、そしてこのシステムと価格を両紙が複占状態にしているのだ。
  しかも日本本土の新聞は内地より価格が約五十%高く、空輸されてくるため半日から一日遅れて届く、このため地元紙による県民へのマインドコントロールは当分続くことになる。

二、沖縄リーダーの実態

 稲嶺知事は「基地削減」と自ら日米両国政府に訴えながら、普天間海兵隊飛行場の県内移設に伴う基地縮小プログラムに関しては何の理論的根拠もない十五年という使用期限を主張している。しかも当選後一年以上経過してからこの数字がでて来たのだ、この結果、移設作業は難航を極めている。
  また二年前の選挙で左翼勢力をバックにする大田昌秀県知事に勝利したものの、「報復人事は行わない」として副知事、出納長を省く大田氏のスタッフを一人も辞めさせてない。
  その稲嶺恵一知事のリーダーとしての資質については疑問を程する県民は少なくない、副知事でさえ「知事は一人では決断できない人だ」と口外している。
大体マスコミ自身も知事に対して「思いつきで発言するクセがあるから必ず裏をとらないと記事が書けない」などと記者仲間で話している。彼らは時にはその言葉尻を捉えては知事を追求し、さらなる思いつき発言を引き出すのを楽しみにしている。
  金武町長のリーダーシップも疑問がある、
彼は一坪反戦地主である、そして後述するが町内の少年少女の非行問題には何ら是正する努力をはらっていない。
  金武町に関しては行政のレベルを示すこういう話もある。一九九九年九月、金武町長は放漫経営で経営難に陥った琉球銀行を救済するため、約二千万円の公金を議会の承認もないまま支出して増資に協力している。日本本土であればたちまち議会から糾弾され、町民からは監査請求が出されるところだった。
  ただこの年の五月、金武町長が米軍楚辺通信所の移設受け入れを表明したため、日本政府から金武町にはSACO(日米特別行動委員会)交付金として使途自由な二億七千万円が支給される事になった、この思わぬ収入に議会も町人も問題意識を失っているのであろう。

三、在沖米軍司令官の苦悩

 一月二十三日ヘイルストン中将がメールを発した日の午後二時、「米兵の事件事故を防止する臨時会合」が外務省沖縄事務所で野村一成沖縄大使の司会の下で行われた。出席者はヘイルストン中将以下米軍幹部、防衛施設庁幹部、副知事、金武町長らである。席上県側は米軍側の綱紀粛正を強く求めた。
これに対しヘイルストン中将は一方で強い不満を表明し、「米軍が地域社会に貢献していることが地元では評価されていない」と発言している。
 
  一月九日金武町で起こった米兵と地元女子高校生とのトラブルを調査するうちに私はヘイルストン中将の心境が痛いほど理解できたのだ。
  一月下旬筆者は、事案発生現場へ発生と同時刻の午後七時半に行って調査したところ、付近住民が「地元紙の報道が一方的だ、ここは不良のたまり場だ」と防衛施設庁に通報した通り、すでに日没であるのにかかわらず女子中高校生が制服で多数徘徊しており、片方では男子生徒が集団で奇異な行動をしていたのだ。なにしろ県道から事件現場へ通じる道路の入り口には、「金銭ゆすりは刑法犯」と言う立て看板まであるのだ、こういった光景は日本ではまず見られない。
  金武町長はこのような状況を放置しながら一月二十四日には外務省北米局と内閣府沖縄担当部局を訪ね「米兵教育の徹底」を求めている。
実は沖縄少年の非行率は保護処分率が例年三〇から四十%と、日本全国平均の約三倍、少年院に送られる率も全国平均の五倍以上に達している。
日本のメディアも問題の真相を検証しようとせず、沖縄マスコミの報道をそのまま鵜呑みにして日本全国に報道して騒ぎを大きくしている。
一方地元マスコミや県庁は基地の環境汚染問題を次ぎのターゲットにしている。ところが一九九八年厚生省は日本全国市町村の最終処分場千九百一カ所を調査したところ、沖縄の民間処分所三十カ所のうち七三%の二十二施設が基準違反と指摘されており、地下水の汚染を始め重大な環境汚染を起こす恐れがあると警告されている。にもかかわらず県や市町村長らは何ら是正する努力をしていない、いずれそれが顕在化するとまた基地に転嫁する恐れがある。
  日米両国政府内には嘉手納米空軍基地の運用を確保するため、県民世論に妥協して海兵隊を沖縄から撤退させようとする意見もある。もしそうなれば勢いついた左翼勢力は次のターゲットを嘉手納に指向し、環境問題を絡めて撤去運動を展開いくことになろう。
  最後に稲嶺県知事についてもう少し述べておこう。日本政府と沖縄県の奇妙な関係が一層みえてくる。
  知事の給与は二千八百五万円、九州七県中で大分県の平松知事に次いで二番目に高い、これと対照的に沖縄の県民所得は約二百十五万円と全国最下位にある。稲嶺知事は仕事量に比べて明らかに取りすぎである。
  日本全国で沖縄の年間予算だけは内閣府沖縄・北方担当相が一括計上しており、沖縄振興のプランニングも内閣府の沖縄振興局と政策統括官が行っている。そして米軍との交渉は実質的には外務省沖縄事務所があたっているのだ、極論すれば他府県の県庁に比べて沖縄県庁は殆ど機能していないといえる。
ところで県総務課は稲嶺知事の給与は前職の琉球石油株式会社会長時代に比べて百九十三万円減ったと言っている。この琉球石油を読者は知っているだろか?
その会社は知事の父君故稲嶺一郎氏が戦後設立したもので、米軍統治時代、米軍に取り入って域内で最大の利権を得ていた。そのこともあって沖縄の日本復帰の際には復帰反対派へ資金援助までしていたのである。
  ところが稲嶺恵一氏は一九九六年八月、故梶山官房長官の私的諮問機関として設立された「沖縄基地懇談会」(島田懇)の副座長に就任するや、沖縄の米軍基地について否定的な発言をするようになって周りを驚かせた。
稲嶺氏はこの頃から政府が沖縄の反基地運動をさらなる補助金のバラまきで押さえようとする時流と、地元マスコミや左翼グループに抗するだけの見識と勇気を持っていなかった。
二月八日、ヘイルストン中将は正装で県庁を訪れ知事に謝罪した。その際知事は感情を顕わにし、握手もしょうとせず「沖縄は五十六年間の蓄積されたマグマの上に立っている(後略)」と発言し席を立った。テレビで放映されたこのシーンに「国際儀礼をも弁えていない」と、支持者の間にも批判の声があがっている。そして知事のリーダーシップの欠如の結果、今その後援会や保守勢力にも亀裂が生じているのだ。
  私は一九二六年日本の小説家広津和郎が中央公論に「さまよへる琉球人」を著していたのを思い出した。広津は一沖縄県人の言葉として「長い間内地人から圧迫を受けている琉球人は、内地人に対して信義を重んじようなどという心を持っていない、無論人によるが、そういったような傾向が大体ある。」と紹介しているのだ、
  実はこれと同じ頃沖縄経済は破綻しており、県選出の国会議員四名が連名で日本政府に救済案を提出していた。その中に「植民地のごとく特別会計に改めて貰いたい」と言う政策オプションをも挿入していたのだ。
  この様に沖縄県民は第二次大戦以前から政治的パッシォンが強く、反面生産活動特に教育を疎かにすると言った他律的な性格があった。そしてこれは七十五年経過しても殆ど変化していないのだ(ただ戦前沖縄には米軍基地がなかったため日本国民は過剰反応しなかった。)

四沖縄はさらに混迷する 

 最近沖縄経済の財政依存度は一九七二年の復帰時より一0・六%も上昇し三四・二%と全国平均の二倍にも達している。
  加えて沖縄の高い失業率(日本本土平均の約二倍)を救済するため日本のIT関連企業四五社が県(国)の補助を受けて進出している。ところが経営者達は沖縄出身青年の労働意欲に疑問を呈している
  そして地元の青年はこの様な保護処置で県外に出ようとしない、従って国際情勢など知る由もないのだ。
  安全保障上も混乱の危機にある。一九九七年八月、沖縄県議会議員超党派の一行が平嬢に招待され帰国した、その後彼らは異口同音に「北朝鮮は戦争する国ではない」と言い出している。また県内の北朝鮮派シンパサイザー「チュチエ思想研究会」のグループと日本の公明党、社民党等が国連機関の沖縄への誘致運動を活発に展開している。
  そして最も懸念されることは、中国に対する誤った歴史観が醸成されていることだ、琉球大学の教授らによって作られたもので、内容は琉球王国は独立国で、民衆は平和と自由を享受していた、そのとき中国が最も良きパートナーであったというのだ。
  一方香港「東方日報」は一九九七年五月二十七日「琉球も本来中国に属すべきもの」と発言しており、今後中国は沖縄がかって四百年にわたって中国皇帝に朝貢していた史実をあげ、沖縄の領有を主張してくる恐れがある。
  ここで米国政府に提案することがある、一日も早く日本に国家としての自覚を覚醒させて貰いたい。このため片務的な日米安保条約を改訂し、日本に応分の責任分担を担わせることである。 そして沖縄政策においては、米国のプレゼンスを将来的にも継続させるため、日米交流の架け橋になるような人材を育成するべきだ、そのために基地内の小中学校に沖縄の児童を選抜して入校させることを提案したい。
  かって沖縄のガリオア・フルブライト留学制度の結果をみれば解るように、エリート教育は大学からでは遅すぎたのだ。
  またハワイ太平洋軍司令部が行っている様なアジア太平洋地域の信頼醸成のための各国軍指揮官の集会を沖縄で開催するのもいい。
  ここではっきり言うが、米国が地域紛争に最も有効な抑止力である海兵隊を沖縄の作られた世論に引きずられて削減又は撤退させることがあれば、それはあらゆる方面に誤ったシグナルを送ることになる。
  ところで一五世紀、中国は東シナ海及び南シナ海の制海権を手中入れたことがある、その時日本は孤立し、アジア諸国は彼らの覇権に入っていったのだ。もし沖縄から米国のプレゼンスが去れば、東シナ海は今の南シナ海同様、中国の影響力が拡大し、米国の国益も甚だしく脅かされることになろう。

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