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「この20人を大論破!」文芸春秋「諸君」(平成10年、1998年・2月号)

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No4 大田昌秀---恵隆之介(ジャーナリスト)

「本土に甘えられた頃はよかったが・・・」

  これまで大田昌秀・沖縄県知事の言動を批判してきたが、先般沖縄で論議をよんだ米軍普天間飛行場の返還にともなう代替ヘリポート建設問題で示した知事の対応は、もはや行政官として失格である。
  平成9年11月21日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで「沖縄復帰25周年記念式典」がおこなわれた。橋本龍太郎首相は、普天間飛行場移設計画について、地元の理解と協力を求めると共に、沖縄経済振興策として、自由貿易地域の設置、法人税の軽滅、観光や情報通信産業を対象にした投資減税を実施していくという考えを明言した。ところが、大田知事は国に感謝することもせず、基地問題をことさら強調し、海上ヘリポート計画しついて、住民の反発も大きく厳しい状況であるとだけ述べ、あたかも反基地団体の代弁を行っているかの様な印象を与えた。
  そもそも、この名護市の海上ヘリポート計画は、大田知事が第一に希望した普天間飛行場の返還に応えて、日米両政府が県内移設を前提に合意したものである。それを知事は住民投票の結果が出るまで。これに関して発言しないというのである。県知事が、自ら提議した県の問題についてノーコメントとはまさに指揮官の敵前逃亡である。
  以前から沖縄県は「感情の大田、現実派の吉元」といわれ、主に「米軍基地撤去」だけを主張する知事と「全県フリーゾーン構想」などを打ち出し、基地問題とバーターして沖縄特例を引き出そうとする吉元政矩副知事の二人三脚で、沖縄県の行政を動かしてきた。
  しかし実際には、知事のエモーショナルな性格に政府は手を焼き、実質的な交渉の窓口は副知事となっていた。
結果的に、この体制は二人が県議会を無視して暴走することになる。知事がそれ以前に「吉元氏の再任拒否は自分への不信任である」と見得を切っていたにもかかわらず、県議会が10月17日に吉元副知事の再任を否決したのは、吉元副知事が官邸の信任を得るにともない、知事の行政権の範略にまで入り始めたことへの反発でもあった。知事が「国際都市構想」や「全県フリーゾーン構想」などの夢にこだわっている間に現実の県経済は最悪の状況を迎えつつある。
  沖縄経済は、約23年に及んだ米軍統治時代には県内企業だけの競争で成り立っていた。そして昭和47年に日本に復帰した後も、このシステムは温存されてきたために、今でも県内2万6千2百件の事業所のうち約62パーセントは従業員が2人以下の零細企業で、業績も約50パーセントが小売業や飲食店などである。県内金融界も含め、国際競争どころか、本土企業とさえもまともに戦える企業は一社もない状態である。
  こうした状況で、平成元年ごろから沖縄に波及したバブル経済は、平成2年のピークには那覇市の商業地を坪1千300百万円まで高朦謄させたが、バブル崩壊とともに急落し、平成9年には坪約180万円になってもまだ下がり続けている。加えて最近では、全国的な不況にともない、本土の投資家が沖縄の行政能力を低さと、県民の労働生産性に見切りをつけ、撤退する者も出てきた。
  大田知事に少しでも経済感覚があれば、夢を語るよりも、まず自らが先頭に立って、県内企業の合併・強化、市町村の統合、都市計画の立案など、基地問題と前向きにリンクさせながら、21世紀に向けた沖縄の経済基盤の整備にとりかっかっていることであろう。
  ところが大田知事は、日米安全保障問題でとにかく窮地に立つ政府の弱腰につけこんで、予算だけを獲得した挙げ句政府との約束は履行しようとしない。
  元を正せば、大田知事をこのような「総会屋的」な行動に走らせたのは、政府にも責任はある。平成8年には、平成9年5月14日に期限切れとなる駐留軍用地特別借地法の改訂が内閣の重要課題となったため、政府は矢継ぎ早に沖縄関連予算を増額した。特に平成8年8月に設置された梶山静六官房長官(当時)の私的諮問機関「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」(座長・島田晴雄慶大教授)などは、座長自らが「米軍基地の存在により沖縄県民は、経済活動や人々の生活は著しく阻害され制約されている。また騒音や事故が多く、閉塞感が重くのしかかり・・・」と県内反基地勢力のテーゼを代弁し、わずか3ヶ月で答申をまとめ、「沖縄県および基地所在市町村に対し、今後数年間に数百億円前後の事業を予定する」と発表した。しかも従来の予算編成ルールを無視して、総額明示方式をとるように発言しているのだ。
  政府がこれほどまでに県内の反基地勢力や知事を甘やかしたために、もはや沖縄の戦後世代は政府が沖縄にいかに高額な補助金を付与したとしても、それを「見舞金」としてしか解釈できなくなっている。政府は自らまいた種で、今後も沖縄問題で苦悩していくことであろう。しかし、大田知事は依然として経済問題を基地問題に転嫁しようとするだけである。あまりにも沖縄経済の現実がみえていない。

危機管理能力のない知事

  それだけだはない。大田知事は県民の安全を守ろうとする行政官の第一の義務さえ失っている。その一例を紹介する。
  平成9年1月1日、名護市で拉致された約半年間消息を絶っていた女子中学生が、8年末に逮捕された容疑者の供述通り山間部から白骨死体で発見された。犯行当日、県警のヘリコプターはオーバーホール中であったため初動捜査は難航したが、その時沖縄の自衛隊の大型ヘリが十数機待機していたのである。もし大田知事が出動を要請していれば少女殺害時刻の1時間前には、すでに自衛隊ヘリが現場上空に達していたのだ。
  その後の捜索活動も緩優に行われていたため、見かねた自衛隊から非公式に捜索支援の申し出がなされたが、知事はこれにも返答していない。
  知事は、7年9月に発生した米海兵隊兵士による女子小学生暴行事件の糾弾集会では「1人の少女を守れなくて申し訳ないと大演説をぶっておきながら、この事件に関しては何らコメントしていない。県民の命よりもイデオロギーを優先するとでもいうのであろうか。いくら大田知事が反戦団体の後援によって当選したとはいえ、県民の命が危機にさらされた時には、行政の長さとして自衛隊のみならず米軍にも協力を要請するくらいの危機管理能力をもつべきだった。
  また知事は、基地問題においては日米両国政府に強硬な姿勢をとりながら、中国には平身低頭する。
  例年10月になると、沖縄では中琉文化経済協会や台湾華僑による双十節が県内政財界人を招いて盛大に行われる。これに対して毎年、知事の挨拶文を県庁幹部が代読して祝意を表していたが、今年から突然これが取り止めになった。何故かというと、昨年6月に台湾行政院建設委員会副主任が、大田知事を表敬したが、その時の写真が地元紙に報道されるや、東京の中国大使館から抗議を受けたからである。対中国弱腰外交はこれだけではなく、尖閣諸島領有権に対しても中国に何ら言及しなかった。7年3月の中国危機の際には、台湾に隣接する与那国町民が不安を訴えているにもかかわらず、「中台関係は心配ない」とうそぶいていた。
  加えて昨年8月30日、琉球王統の第二十二代当主尚裕氏が逝去し、9月3日に東京で告別式がおこなわれた。大田知事はこの日、中国福建省へ沖縄県福建省友好締結式に参加するため、那覇空港を飛び立っている。当時県庁には2人の副知事がおり、1人はまったくスケジュールはなっかったにもかかわらず、告別式には代理出席もさせていない。
  知事は日頃「琉球は日本に滅ぼされた」という"被害者"としてのテーゼを展開している。そう思っているならば、なおさらこの悲劇の象徴である琉球王統の当主の告別式には参列して弔意を表すべきであった。そうすればきっと全国民に知事のいう"悲劇の沖縄"をよりアピールできたはずだ。それとも「沖縄は中国との関係がより重要だ」とでも思っているのだろうか。
  以前大田知事は、沖縄に住む米軍の高官に「知事を退任したら、長男のいるハワイにいって永住します」ともらしたことがある。最後はハワイで余生を過ごすというのなら、基地問題だけでなく、日米関係まで混乱させたり、沖縄問題に及び腰になるのも無理からぬ話である。沖縄県民は後世、大田昌秀氏を知事に選出したことを慚愧の念をもって振りかえることであろう。そのとき沖縄の政治・経済ともに破綻をきたしているかもしれない。

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