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中国に併呑される沖縄「Voice」(平成9年、1997,10月号)

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恵隆之介(ジャーナリスト)

沖縄県庁の目にあまる「中国土下座外交」の実態とは

  政府は沖縄の反基地運動を鎮めるため沖縄振興という名目の特別補助を拡大している。しかし沖縄県庁は、その金の一部をすでに中国に貢ぎ始めているにだ。一方、その中国こそは、尖閣の海底油田を含め琉球列島を、太平洋進出の戦略拠点として虎視耽々と狙っている。今後かかる沖縄を放置していると、わが国の主権が脅かされる恐れがある。
  本論に入る前に、近代史における沖縄と中国との関係をまず述べておく必要がある。

歴史は繰り返す

  明治10年、琉球王府は廃藩置県に反対し、在京の清国および列国公使に特使を派遣して現状維持を愁訴した。清国はこれに応えて翌年わが国に抗議するとともに、明治13年、琉球列島の三分案を主張してきた。一方政府は、清国に気兼ねしながら、沖縄近代化を推進するため、琉球王に旧大名四十万石担当という破格の家禄を与えて、旧琉球王府の支配者層を壊柔しようとした。ところが、彼らは既得権を固守することしか念頭になく、政府は焦燥に駆られていた。
  明治27年8月1日、日清戦争が勃発する。沖縄では県民が清国派と日本派に分かれ、双方で乱闘事件さえ起こしていた。とくに清国派は旧士族階級が多く優勢であったため、徒党を組んで神社仏閣に参拝し、清国の勝利を祈願した。また県民のなかにも「黄色い軍艦が沖縄へ救援に来る」という流言が横行した。そこで県内に居住する他府県人は万一に備え、自警団を組織し、かつ子女を本島中部の山間に疎開までさせた。
  しかし、ここで大きな転機が訪れる。清国の敗北である。そこで政府は、3年後の明治31年、沖縄へ徴兵令をようやく施行した。このとき、かつての清国派の一部は中国へ逃亡する。明治32年、『大阪朝日新聞』に「琉球人福州に寄食す」という見出しで清国政府の厄介になっている県民が批判されているのだ。
  琉球王府が中国に傾斜したことには訳がある。この点がまた、琉球王国が国家としのレジテマシーに欠ける部分でもある。
  琉球は14世紀ころから明国に朝貢するようになった。そして琉球王は中国皇帝の冊封を受ける。朝貢貿易の返礼は「唐一倍」と呼ばれ、琉球王府は十割近い儲けを亭受するようになった。また1491年に即位したとされる尚真王は、権力基盤を確立するため沖縄に身分制度を設け、刀狩りを行い、有力士族には家禄を与えて王府首里に住まわせた。
  ところが民衆は「地割制」というシステムに組みこまれ農奴と化する。土地私有はいっさい禁じられ、一定年限ごとに村落ごと耕作地を交代させられた。さらに離島農民へは人頭税が課せられ、本島農民の三倍以上という重税が課せられた。
  しかし琉球の実質的統治者は、じつは琉球人ではなかった。これこそが中国移民、客家である。
  琉球では彼らを唐栄と呼んだが、王府首里城では、旧正月に琉球王がこの唐栄の号令に従って、北京の柴禁城の方角に向い三跪九叩の礼を行った記録もある。また、かつて琉球王国は広く海外交易に従事したと流布されているが、県民性にはそういった特性は見いだせない。明治34年8月、地元出身、漢那憲和海軍中尉(のち少将、大正10年昭和天皇皇太子時代、欧州御外遊時の御召艦艦長)が那覇で行なった講演で、「本県人が海に心を掛けているのは、一部分の糸満はあるけれども一般は冷淡で海を恐れること甚だしいと述べている。
  琉球の海外交易の話は、この客家の存在で十分説明がつく。また沖縄民俗学の祖といわれた伊波普猷氏も「廃藩置県は半死の琉球王国が破壊されて琉球民族が蘇生したのは寧ろ喜ぶべきことである」と述べているのだ(『沖縄新聞』明治42年12月)
  話は昭和に転じる。
  昭和21年、沖縄出身の日本共産党書記長・徳田球一氏が党大会において「沖縄民族は少数民族であり歴史的に搾取、収奪された民族である」と発言し、沖縄独立論を唱導した。またその前年、沖縄人連盟が東京で発足(会長、伊波普猷氏)。そのテーゼに「朝鮮人連盟と連帯する」というテーゼが採択され、連盟の会員は一時、いわゆるポツダム・マルキストを含め全国に7万人を数えた。そしてこれを見た当時のGHQまでもが、「沖縄返還にあたっては、日本復帰か独立か住民投票にかける」と公言したのである。
  以上、現在とまったく異なった琉球史の真相を吐露したが、昭和40年代初頭より琉球史が本土への極端な抵抗史観的視点で描かれるようになった。そこには、本土復帰運動が活発になるかで、敢えて半日的な気運を醸成するための策動があったことも否定できない。
  従来、沖縄の復帰運動は米軍政府に対し国旗揚揚、国家斉唱の自由を求める純粋な民族運動から出発した。ところが、昭和42年ころから過激なイデオロギー闘争に変質し、反米軍、反日といった色彩が強くなっていったのである。

沖縄本島が 尖閣する日

  最近、沖縄県民のなかに、県庁に対し不満がうつ積している。知事や副知事が、県議会や世論を無視して県政を専制的に運営しているからだ。
  『琉球新報』7月26日付けの「全県フリーゾーン・県民の声」と題する欄に「最近の県政は議論なしに物事が独裁的に決められていく感じで心配です」という県民の意見が述べられている。
  また、『沖縄タイムス』8月5日付けには沖縄県庁の非民主的な状況が「県に焦り、問われる行政能力」としてこう述べられている。「(規制緩和検討委員会)報告書の発表以来、県経済への懸念が(県内)経済界や学識経験者などから広がっているにもかかわらず臨時庁譲では部局長から一つの質問も出なかった」。
  折しも政府は、日米ガイドラインの策定で社民党などの反乱を懸念している。もしこの時期に沖縄県庁に基地問題で騒がれては、橋本内閣は腹背から攻撃を受けることになるのだ。そこで沖縄振興策を大義名分に高率補助を実施し、沖縄を壊柔する作戦にでた。しかし沖縄側はその弱点を見抜いており、「政府にとにかく物さえいえば、ある程度の見返りがとれる」と公言する。
  ここで、沖縄県副知事吉元政矩の存在が大きなファクターになる。大田知事が非常にエモーショナルな性格のため、官邸はもっぱら実質的な交渉を副知事に頼ってきた。そこで吉元氏は県庁職員の人事を含む多くの権限を拳中に収めたのである。
  吉元氏の略歴を紹介する。与那国町出身、八重山高校卒、60歳、自治労出身で二度にわたって大田知事の選挙参謀を務め、平成2年に県政策調整監となり、5年に副知事に就任した。
  ところが副知事は日ごろ、「私のルーツは福建省」と公言してはばからない。与那国町は台湾へは110 キロ、福州市までは直線距離で400キロしかない。台湾人えさえ約7割は福建省、客家の出身とされているから信憑性はきわめて高い。
  その副知事がいま独断的に推進しているのが、1、全県フリーゾーン構想、2、国際都市構想、3、福建沖縄友好会館の建設である。
  日ごろ「国際都市形成を進めるためには、基地の計画的返還、大胆な規制緩和が必要」と口癖のように発言する。梶山官房長官もこれに呼応するかのように、今年1月、国会で沖縄を自由貿易地域として台湾や福建とリンクさせた「蓬莱経済園」構想について発言している。いずれにしても、副知事の施策には中国との関係でうさん臭いものを感じるが、ここでは福建沖縄友好会館の建設問題について述べる。
  平成4年、福建を視察した吉元氏は、中国側から同会館建設の話をもちかけられ即座に快諾した。翌年には副知事に就任したこともあって、沖縄福建友好会館建設推進委員会を組織し、自ら同会委員長とし、地元経済三団体の長を副会長に誘い、また委員に県庁幹部や県内各種団体の長を入れた。そして6年7月、県議会に諮問することもなく沖縄県副知事と明記した同会館建設の協定書を福建省人民政府外事弁公室と交わしている。要点はこうだ。

(1) 友好会館を福建省福州市華林路97号に建設する。(鉄筋コンクリート造り地下2階、地上12階建て、延べ床面積1万1千平方メートル)
(2) 同会館の所有権は福建省人民政府外事弁公室に帰属する。
(3) 総工費2億円、全額を沖縄(沖縄福建省友好会館建設推進委員会)が負担する。
(4) 竣工予定は1996年(平成8年)6月末。

  とくにこの(3)の2億円の捻出には、5千万円を県内企業が完成時に支払い、1億5千万円を県が着工前に支払うと県民に説明された。そして平成6年7月15日、副知事は民間企業に2千万円を立て替えさせて送金して概成事実をつくり、10月の県議会に突然、補正予算として1億5千万円を計上した。(可決後2千万円を民間企業に返済)
  補正予算審議中、野党議員から追及された県執行部(総務部長)は「(もし否決されれば)国際信義上きわめて重大な問題が惹起されることを懸念する」と答え、この資金の監査要求に対しても、「外国には及ばない」と否定している。
  じつは平成5年1月、東南アジアを視察した大田知事は帰途、台湾政府要人と台北で会談するためアポイントをとっていたが、直前にキャンセルし台湾側のひんしゅくを買っている。その後、県議会で「国際信義に反する」と追及された知事は、「体調が悪かった」とあっさりかわしているのだ。いまの県庁が国際都市を標榜する割には機会均等という外交の基本原則について無知であるという実態がこれで理解できよう。
  話を元に戻そう。県議会はこうして補正予算をやむなく可決。同会館は着工した。ところが福建省側は完成予定の4ヶ月前、平成8年2 月ころより、インフレによる建設コストの上昇、付帯設備の増設などを理由に追加出費を迫り、6月には「沖縄が応じなければ工事を中断する」として、一方的に工事中断を宣告してきたのだ。なんと平成9年8月現在、同会館の総工費は、当初の2億円から9億円にはね上がっている。沖縄県庁はこうして今年8月現在、計4億円の出費を余儀なくされ、中国側は今度は同ビルの維持管理会社設立をもちかけている。福建では2百万円あれば立派な個人住宅が建てられる。9億円といるのは現地ではそうとうな金額なのだ。
  副知事の県議会を無視したしたたかな手法には、県議会与党でさえ悲憤慷慨しているが、副知事は時として沖縄福建友好会館建設推進委員会の構成メンバーを強調し、「民間主導である」と抗弁している。また一方で中国礼讃ムードを醸成する。
  同会館建設計画書の冒頭にこういう文言がある。「福建省と沖縄は過去6百年にわたる長い交流の歴史がある、かつて琉球王朝時代、我々は福建省を始め中国から幾多の恩恵を受けてきた。・・・歴史的に得てきた恩恵、昨今の福建省の沖縄に対する特別な配慮に対する県民の感謝の気持ちを表す施設として建設する」。
  また県内で約91パーセントのシェアを占める地元2紙も社説で同会館建設を肯定する一方だ。「福建との友好県に期待」(『沖縄タイムス』平成9年7月9日付)といったふうである。
  この結果、民意も巧みに醸成された。県民には琉球王朝神話とそれに関連した中国賛美の傾向があり、また高率補助に慣れた県民は、県予算の執行状況をチェックする気概をもっていない。
  今度は7月10日、沖縄県議会が那覇・中国(福州市長楽国際空港)間の定期航空路開設に関する要請決議を採択し、要請書を運輸大臣、福建省人民政府省庁、福州人民政府市長宛に送付している。
  じつは友好会館が着工したころより長楽空港の建設も着手されており、中国側は友好会館とリンクして使用することをすでに想定していたのではないか。
  ところで地元紙は、わが国への不法人国者のほとんどが福建省出身であり、その起点が長楽市付近であることや、中国に投資したわが国企業がいまどういった局面を迎えているかを報道しようとはしない。じつは平成8年度、沖縄県内で出入国管理及び難民認定法違反で強制退去を受けた外国人の数は、過去最高の162人(前年度の3倍以上)にのぼる。その72パーセントの117人が中国人で、全員が福建省出身者であった。
  副知事が福建省との親交を急ぐ裏には今後そうとうなリスクが予想される。平成8年8月、県が国に提出した「規制緩和等産業振興特別措置に関する要望書」5項目のなかに、ノービザ制度が明記され、また今年にわかに爼上にあがった全県フリーゾーン構想のなかで外国人労働者の雇用について、県国際都市形成推進室の幹部が、「範囲や職種を限定した形で必要となるかもしれない」と公言している(『琉球新報』8月13日付)いままさに沖縄県がまた中国の隷下に入ろうとしている。事実、香港で最大の発行部数を誇る『東方日報』は5月27日付の社説で「琉球も本来は中国に属すべきもの」と発言しているのだ。

沖縄県庁の中国土下座外交

  副知事は今年6月15日から17日までのあいだ、友好会館建設中断という事態を打開するため福建省を訪れた。その際、外事弁公室の担当者とわずか50分のみ会談した。冒頭副知事は、沖縄側の追加出資決定が遅れたことを謝罪し、こう発言した。
  「大田知事と橋本総理大臣が二人で沖縄県の将来について話し合いを行いました。日本政府は、総理大臣と北海道開発庁長官を除く日本政府の全閣僚と大田知事で構成する『沖縄政策協議会』を設置し、その座長は梶山官房長官が努めております」「中国との関係をつよめていきたい、これは沖縄県民の素直な気持ちです。現在の状態から沖縄の未来をどうつくっていくかは(日本)政府の課題です」「過去3回、沖縄県・福建省サミットを実施し、今年で4回目になります。このことを日本政府は興味をもって注目しております」
  副知事は中国側にことさら日本政府の沖縄支援策を強調している。わが国政府内における沖縄の優位性を中国側に認識させるためであろう。これに対し中国側責任者は、「福建省政府は副知事のご尽力に対し敬意を表する。一つの質問がある。追加資金の為替差損についてどう考えているか」「為替レートの変動は予期できない問題なので(沖縄県議会)職員に説明すれば理解できるのではないか。検討してほしい」(会話記録はいずれも『福建・沖縄友好会館の視察等に係わる報告書』沖縄県知事公室国際交流課作成による)。
  従来から福建省側との交流には沖縄側からは通訳を一人も付けていないのであるが、このとき中国側は3人もの通訳を動員しているのだ。
  沖縄県・福建省サミットについても述べる。平成6年から毎年1回行われ、第1回と3回目は沖縄で、2回目と4 回目は福建で行われる。ところが第1回で来県した福建省代表者170名と3回目の33名の渡航費用は、沖縄県が全額負担しているのだ。
  そもそも当初の友好会館建設の協定書のサインの仕方自体から杜撰だった。平成6年7月21日、県の国際交流課長が協定書を持参して福建へ行き、「中華人民共和国福建省人民政府外事弁公室主任」と印字された欄にサインをもらい、沖縄に帰って25日に「日本国沖縄福建友好会館建設推進委員会会長(沖縄県副知事)」という欄に副知事がサインし、そしてFAXをもって協定書を中国へ送付している。
  副知事は同会館建設の意義として、「南の国際交流拠点の形成に寄与する施設であり、華南経済圏との経済交流を密にすることによって本県の経済自立を促すための拠点施設」と説明している。ところが沖縄から輸出できる品目は泡盛とタイモぐらいで、しかも泡盛は県内でも値段が3千円から8千円をつけている。福建省の平均的な賃金は月約7千円である。はたして何本うれるだろうか。
  こうした副知事に県内離島の住民からは、すでに怨嗟の声が上がり始めている。一世帯当たりの家計に占める主な教育関連支出比率は那覇市でも8.54パーセント全国12位にある(日経産業消費研究所資料)。子供を本土の大学に通わせるための支出が要因であるが宮古、石垣両島の住民の支出比率はさらに高い。中学生や高校生でも、本島へ勉学や学校行事で行かねばならないため、航空運賃などの費用が嵩むのだ。
  離島住民はこう訴えている。「中国に送金するぐらいなら、那覇に離島会館でもつくって、離島青少年の宿泊施設に供してもらいたい。まして福建サミットで中国人を招待するぐらいなら、せめて離島児童の本島への交通費を県が支援すべけだ」

日本また沖縄を失陥す

  友好会館よりもさらに深刻な現象が沖縄で起きている。
  昭和63年、那覇市公開条例に基づき市内に居住する島田正博氏(元那覇市議)と那覇市労働組合が、海上自衛隊那覇基地にある対潜水艦作戦センター(ASWOC)に関する建設資料の公開を求め、現在も国との間で係争中である。
  また平成4年、本島北部の本部町に建設予定であった対潜戒機P3Cのデータ中継アンテナの建設阻止闘争が開始され、現在も着工できないでいる。
  理論上は、P3C一機で四国ほどの海面をカバーできるといわれているが、こういったデータの送受信が伴わないと性能は極端に低下するのだ。一方、今年1月、中国の台湾向け宣伝放送「海峡の声」は、中国原子力潜水艦隊司令官の声明として、昨年3月、中台危機の際、核弾道ミサイル搭載の原子力潜水艦が台湾海峡に出動したことを明らかにしたうえで、尖閣諸島などの係争海域へ原潜部隊を出動させる方針を発表している。中国から見れば沖縄のP3C部隊の存在がめざわりなのは事実だ。両者の反基地運動の目標がいずれも対潜水艦作戦施設に指向しているのは、偶然といえるだろうか。
  中国は一方で、着実に海軍力の増強を計っている。7月31日、中国人民解放軍の建軍70周年祝賀大会で、江沢民国家主席は「強大な軍隊の建設」を強調し、また昨年7月24日には、中国海軍の党代表会議出席者約5百人を前にして、「海洋権益の保護」を強調し、海軍力の増強に言及している。
  今後中国は、台湾問題も含め米軍を牽制するため、海軍力、とくに潜水艦隊の増強を計るだろう。そして原潜の最大の造船所がある。葫芦島を含む黄海、東シナ海方面主要軍港より太平洋に進出する回廊を宮古海峡に求めてくる公算は大である。
  今年4月24日午前、中国の海洋調査船「海洋13号」が尖閣諸島の領海を侵犯した。このとき警告した巡回船に対し「海洋13号」はこう反駁している。
「この付近は中国の大陸棚である。同島の島々は中国の領土、付近は中国の領海である。」
  その後中国の徐敦信駐日大使は、7月14日都内で講演し、「尖閣問題は当面棚上げすべきだ」と見解を示した。また地元紙『琉球新報』も5月26日付けの社説で、「ナショナリズムの加熱は問題をこじらせるだけだ。尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権をめぐる一部の加熱した行動が不測の事態を引き起こしかねないことを危ぐする(中略)
  領有権問題などは一時棚上げして、これまで各方面から提案のあった尖閣諸島周辺の石油資源などの共同開発構想の可能性を早い時期に具体的に検討に入ることであろう(中略)警備に当たっては、くれぐれも慎重に対処してほしい」と評言している。いかにも中国に応分の権利があるといわんばかりだ。しかも括孤で中国名までわざわざ表記するなど中国の代弁をしている印象さえ受けた。
  従来、同島に見向きもしなかった中国が、昭和43年、国連アジア極東経済委員会の協力で実施された海底資源調査で、尖閣付近の大陸側に石油資源が発見されるやいなや領有権を主張しはじめた。そして平成4年に、中国は領海法を公布して尖閣諸島を中国領としたのである。その間、昭和53年には、中国は漁船150隻近くを尖閣諸島へ派遣し、また平成8年10月に中国人を一時上陸させている。地元紙は、こうした不法行為についてまったく言及していない。
  じつは現在、航空自衛隊那覇基地に配備されているファントム戦闘機の航続距離では、尖閣、与那国の防空はギリギリなのだ。ところが政府は、沖縄の反基地運動を刺激するとして、F15の那覇基地への配備をためらっている。
  このように中国に対しメルトダウンする沖縄に、早急に対処する必要がある。しかしわが国政府もじつに頼りない。とくに、7月25日、加藤幹事長が、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見通しで周辺有事の対象に台湾海峡が含まれないことを日米間で確認すべきだ」と発言していることだ。昨年3月発生した中台危機の際には、与那国町の沖合約60キロに中国軍のミサイルが落下し、町民を震撼させている。
  加藤発言に加え、沖縄県庁は2015年までに沖縄の米軍基地を全面撤退させると発言している。これでは、今後予想される中台危機の局面においてさえわが国の沖縄への主権は不安定なものになるであろう。
  焦眉の急は、沖縄県民の意識を早急に是正することだ。とくに偏向報道する地元マスメディアに独占された県内新聞業界に対し、一日も早く本土紙を安価にかつ地元紙と同時に配布できる体制をつくるべきだといっておきたい。余談になるが、明治8年3月、内務卿大久保利通の発案により守旧頑固な県民を啓豪するためとして、国費で東京の新聞、雑誌を買い上げ県内で無料で配布している。
  本土有力紙の幹部は、このような提案に対し、「採算ベースに合わない」と答えるだけだ。目前の利益にしか配慮しない国民は、近い将来、沖縄を失陥し、尖閣の海底油田、そしてシーレーンを含むあらゆる国益を脅かされて始めて後悔するであろう。そしてこのときは、いまの沖縄振興策と比較にならないコストを国民が負担することになる。

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