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大田琉球王国に反乱す 文芸春秋「諸君」平成8年

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受難の歴史を訴えても沖縄は変わらない。
愛する郷土のため、あえて知事に直言する。

 沖縄のような島社会では、たとえ正論であっても、県にもの申すことは企業人としてかなり勇気がいる。しかし私は、愛する郷土沖縄のため、そして日本国民として、あえて大田知事に直言する。

 7月24日付け琉球新報朝刊に、「大田知事の立場に理解」という見出しのものと、宮沢喜一元首相が「大田昌秀・沖縄県知事は西郷隆盛のような殉教者になってしまう」と発言した。はなはだしい事実誤認である。本土では今、高名な政治家や評論家までもが、沖縄の真実を十分に知らぬまま、大田知事の言動に振り回されているようだ。このまま推移すれば沖縄にとって、また日本政府にとっても不幸な結果を招くだけだろう。
  私はあえて大田県政の内実を明らかにし、知事が7月10日に最高裁で行った陳述の恣意的な部分を論破することによって、沖縄の真相を全国民に訴えたいと思う。
  一つのエピソードから始めよう。
  今年6月21日午後7時5分頃、沖縄北部の村で帰宅途中の女子中学生が何者かに拉致され、県警及び住民の必死の捜索にもかかわらず、8月23日現在も発見されていない。  この事件の直後、沖縄県警のヘリはオーバーホール中であったため、事件発生現場近くの山間部への上空からの捜索は不可能となった。実はこのとき、県内には自衛隊のヘリ十数機が稼動状態にあり、県知事からの依頼があり次第、ただちに発進する予定だった。ところが、ついに要請はなかったのである。
  昨年の米兵による婦女暴行事件の糾弾集会では、「一人の少女を守れなくて申し訳ない」と大演説をぶっておきながら、今回、大田知事は、一人の少女の人権よりもイデオロギーを優先したことになる。
  知事は自衛隊を最も嫌悪する。かつて知事要請によって、急患搬送のため離島へ出動した救難機クルーの慰霊祭に、大田知事は一度たりとも出席したことがないのである。

大田「平和行政」の実態

 大田知事は常日頃、「平和行政」とか「青少年に夢をあたえる行政」といったスローガンを掲げている。しかし、実態は違う。
  平成13年に沖縄県での開催が決定していた全国高等学校総合体育大会(費用合計約30億円)を、県は財政が逼迫しているという理由で突然取り止め、生徒や教育関係者を落胆させた。一方で沖縄県は、図書館の設置率や蔵書数において全国最下位にある。
  ところが知事は平成7年、知事の大学教授時代の専門分野でもあった戦後沖縄の歴史資料を保存するためとして、総工費42億円をかけて県立公文書館を建設し、その館長に教授時代の後輩を任命した。この公文書館への来館数は一日約10名である。
  さらに知事は平和祈念資料館の新築計画を強行しようとしている。開館予定は平成11年、総工費約80億円、展示面積8000平方メートルという規模である。さらに「非核平和宣言沖縄」のモニュメントを県庁構内に設置したのをはじめ、県下4ヶ所に設置することになっている(総工費約3000万円)。
  しかし県民は、知事の「平和施策」を決して支持していない。
  平成6年、県は500万円の費用をかけて「平和に関する県民意向調査」を実施した。この結果が知事の意向に沿わなかったためか、調査結果は最近までおよそ2年間秘匿にされてきた。内容はこうである。
  平和施設(戦争被害をアピールするための施設)の建設を推進する大田県政の施策を県民に問うたところ回答者の多くが「それは現状のままでいい」として、むしろ「自然環境の保全」「青少年の健全育成」「経済安定と製造業の育成」を優先課題にあげていたのである。
  沖縄県の財政は、歳入合計約5790億円のうち自主財源は22パーセント強の約1296億円にすぎず、残りはすべて国庫補助、財務内容も破綻寸前である。県の主要都市である那覇市、沖縄市の財政も火の車だ。
  したがって、平成7年度末の県の借入金累積総額が4745億6247万6千円に達しているのも、しごく当然だろう。しかもその返済財源となる、減債基金の今年度末の合計残高見込は、楽観的に見て203億円(平成3年度残高の約半分)。これでは沖縄開発庁が補助事業を実施しようとしても、県の負担分が賄えず、今後の沖縄の振興開発の遂行さえ懸念される。
  知事が主張するように、仮に2015年までに沖縄の米軍基地をすべて撤去した場合、基地関連収入の1830億円、これに付随する基地関連交付金(約80億円)、そして基地がある故に実施される沖縄開発庁負担の公共工事約1000億円をどう穴埋めするつもりなのだろうか。
  大田知事はことさら文学的な表現を好むようだが、沖縄の現状に関する数値的分析については一言も口にしたことがないのである。
  県財政を逼迫させるもう一つの要素として、県公務員の人件費があげられよう。
  沖縄では公務員が最も魅力のある職業であり、日本復帰と同時に給与が本土並みに引き上げられたこともあって、バブルの時期でさえ県公務員の採用試験は15倍の競争率であった。加えて沖縄の人事構成の特色は、類似県に比べて管理職クラスの人数比が2から3倍も多いことである。
  景気低迷が続く中、東京都や神戸市が思い切ったリストラ案を発表している昨今にあっても、沖縄県労組は逆に増員を主張する。そして沖縄の基地撤去運動の中核をなしているのが、これら県労組であり県教職員組合なのである。「基地がなくなっても生活は心配ない」という心理もあろう。
  では、こうした事態になぜ県民が物が言えないのだろうか。沖縄経済の血液は国庫補助を主体とする公金であり、これを配分する権限を有する県に対して、地元企業はどうしても口をつぐまざるを得ないのである。
  それを助長するのが、地元マスコミや共産党などだ。彼らが寄ってたかって、「平和」「福祉」の体現者こそ大田知事であるというイメージを作り上げたため「知事批判イコール平和への罪」というタブーを形成してしまった。
  いま県庁では、YKK人事という言葉が流行している。Yは吉本副知事の出身地である八重山諸島出身者をさし、Kとは知事と出納長の出身地である久米島出身者をさす。もう一つのKは組合だ(吉本副知事も労組出身)。要するに県庁ではYKKのいずれかの派閥に属さないと出世できないというのである。
  県職員の実態も様々な形で明るみに出されている。たとえば7月17日付け沖縄タイムスに、「平日の球技大会は是か非か」という見出しで、一部職員の職務態度が批判された。今年5月中旬より、県職員が職務時間中に大挙して席をあけ、8月の球技決勝大会に向けて部課ごとの球技大会を実施しているというのである。記事には、リストラに喘ぐ地元企業からの批判の声が添えてあった。
  7月20日には、県は公金不当使用による物件購入の疑義があるとして、県民によって那覇地裁に提訴されている。
  そんな大田県政の実態を踏まえてもなお、日本国民は大田知事を手放しで礼賛するのだろうか。知事による最高裁での陳述(7月10日)に対して、いかなる反論もできないというのだろうか。
  私はそれに挑んでみる。以下、知事の陳述要旨を列挙し、事実に基づいて逐一反論を加えよう。

反戦地主の半数が県外居住

知事陳述「米軍基地は、県土総面積の約11%を占めていますが、とりわけ基地施設は、一平方キロメートルあたり2198人を有する、日本でも有数な人口稠密地域である沖縄本島中・南部に集中しています」
  この陳述は、「原因」と「結果」を巧みにすり替えている。人口稠密地域に基地施設が作られたのではなく、基地施設の周辺に人が必然的に集まってきたのである。
  戦前沖縄の人口はピークで59万7902人(昭和12年)であり、人口増加率も5年平均で0.5パーセントであった。戦後は、平成7年現在で127万3507人、人口増加率も4.1パーセント(全国平均1.6パーセント)に増大している。この原因は、戦前沖縄の主要産業は農業で、生産性が低く、県民は移民や出稼ぎにでていかざるを得なかった。ところが戦後、米軍基地ができた結果、地代収入や軍従業員という雇用需要が発生したことにある。
  そして沖縄の地形上、中部とやや南部よりに基地が建設されたため、大部分の地域において住民が能動的に基地の周りに住みはじめたのである。事実、現在の沖縄の米軍用地の2万3500ヘクタールのうち、約50パーセントが旧農地であり、45パーセント近くが山林原野なのだ。
知事陳述「主要都市は、いずれも、基地の周辺にゾーニング(区分け)もされないままスプロール化してできたものです。到底、自然災害などに耐えうるものではありません。したがって、県民の命と暮らしを守るためには、消防車や救急車が入っていける秩序ある街づくりが不可欠です」
  知事は、自然災害などから「県民の命や暮らしを守る」と主張する。もちろん異論のあろうはずがない。しかし、自衛隊との防災訓練はイデオロギーが先行して実施されなかった。阪神大震災の後、一時世論に押されて防災訓練を実施したものの、最近また忌避しつつある。そもそも消防車や救急車の入っていける街づくりというのは行政の責任であって、基地の弊害と断じてよいものだろうか。
知事陳述「本土の基地の87%が国有地なのに比べ、沖縄のそれは、民有地が三割余を占めていることです。とりわけ、基地の集中する沖縄本島中部地域においては、約75%が民有地であります」
  知事は「民有地だからいかん」といわんばかりだが、ここにも理論のすり替えがある。南部地区が商業地として、また県都として栄えているのに比べて、中北部は商業地としても振るわず、軍用地主は米軍用地の地代を生活の糧としている。このため、約3万2000名の軍用地主のうち、賃貸契約を拒否しているのは9.4パーセントの約3000人だけであって、面積費ではわずか0.2パーセントにすぎない。しかも反対地主の大部分がいわゆる「一坪反戦地主」であり、なんとその半数近くが県外居住者なのだから、「県民の声」が聞いてあきれる。沖縄の反基地闘争は、砂川のそれとは根本的には異なるものだ。

裏付けのない未来図

知事陳述「古来、沖縄は農業が基幹産業でした。生存の基盤となる農地を失った農民たちは、安住の地を求めてボリビアなどに集団で移住するか、生業を捨てて軍事基地で働くことを余儀なくされました。先祖崇拝の念の厚い沖縄では、土地は、言うならば、先祖が残してくれたかけがえのない遺産であり、先祖と自分を結びつけてくれる心の紐帯を意味しています。(略)
  それだけに県民の土地に対する執着心には根強いものがあり、したがって、土地の強制収用に対する住民の反発も大きいのです」
  こういう耳ざわりのいい主張を論破するには、長い説明が必要だろう。
  沖縄の地質のほとんどは粘土分に富む風化土、あるいは風化岩の堆積土で、決して農業に適したものではない。本島中部に沖積土壌があり、これは比較的水田などに適しているが、全島面積の約3パーセントにすぎないのである。
  しかも亜熱帯の地とはいえ、気象条件も農業に適さず、今年もそうであるように干ばつと台風が交互に発生する。とくに台風の襲来は二期作の始めの時期と重なるから、しばしば塩害と相まって農作物に壊滅的な打撃を与える。このため、戦前の沖縄県民は主食をサツマイモとし、沖縄の土壌でもなんとか生育するサトウキビを換金作物として耕作した。
  我が国が鎖国の状態にあった頃、沖縄産の砂糖(黒糖)は大阪市場で高く売れた。ところが我が国が台湾を領有するようになった頃には、サトウキビ生産の空洞化が起きる。台湾で砂糖生産を行った方が、自然条件と生産性において断然有利だったのである。
  加えて大正年間となると、砂糖の国際市場に安価なキューバ産砂糖も参入するようになり、砂糖の国際価格は下落の一途をたどる。そこで沖縄の農民は、収益率の低い農業に見切りをつけ、海外移住か本土への出稼ぎに生きる糧を求めるようになっていった。
  戦後の沖縄農業を見ても、仮に沖縄戦がなく、米軍基地が沖縄になかったと仮定しても、昨今の農作物の自由化傾向の波に洗われて、間違いなく危機的な状況になっていたことだろう。沖縄の糖業が今も存続しているのは、国が国際価格をはるかに上回る価格で買い上げているからに他ならない。
  戦前、沖縄の地価は全国最下位で、地主たちは納税額より生産性の低い土地を維持することができず、那覇市でさえも地主が酒一升を抱えて、「土地をもらってくれんか」と近隣を訪ね歩いたというエピソードがある。
  ところが戦後、米軍が土地を強制的に接収し、地代支払いを一括払いにしたこともあって、県民の猛反発を受けた。しかし昭和34年、地代が当初米軍が提示した額の6倍となり、支払い方法も年払いと改定されたため、地主側は妥協する。そして地代は、日本復帰の際(昭和47年)には昭和34年当時の6倍となり、さらに復帰後の20年の間に、復帰時の6倍へと上昇する。このため軍用地変換運動も下火となり、復帰時に約3000人いた反対地主は、昭和57年には百数十人に激減した。当時の反対地主は、現在の一坪反戦地主とはまったく別ものである。
  米軍が本格的な基地建設を開始したのは、昭和25年頃からだった。このとき米軍は、基地施設を効率的に運用するため、軍従業員の給与を琉球政府職員(今の県庁職員)の3倍から5倍の水準に設定して人材確保にあたった。このため昭和25年には、すでに1万4000人の農民が米軍従業員募集の窓口に殺到したのである。以後、米軍従業員の数は、ピーク時で約4万1000人。「生業を捨てて軍事基地で働くことを余儀なくされた」という大田知事の感傷的な発言が適切かどうか、読者の判断にゆだねたい。
  少なくとも知事が指摘する沖縄「県民の土地に対する執着心」は、決して高いものとは言いがたい。昭和50年の沖縄海洋博の際、会場周辺の土地を安易に売却する沖縄県民の振る舞いを危惧した地元の有志たちが、「土地永久、金一時」という看板を街角に立てたのは未だ記憶に新しい。平成2年のバブル絶頂期には、沖縄の農家は農振地域でさえ、バイヤーと賃貸借契約を結ぶという手法で農地を手放していた。
「安住の地を求めてボリビアなどに集団で移住」という陳述にも反論しておこう。戦前に移住した県出身者は、当初沖縄戦の惨状に同情し、郷里へ援助物資を送ったり、あるいは戦後満州や南方から引き揚げてきた県出身者を移民先に呼びよせていた。ところが沖縄の生活水準が向上したのを見聞きして、移民たちは郷里へのUターン現象さえ起こすようになったのである。
  そういう事実があるにもかかわらず、大田知事はひたすら"受難の歴史"を強調してやまない。
知事陳述「県民は、戦後50年もの間、基地と隣り合わせの生活を余儀なくされ、その重圧に苦しんできました」
"悲劇の島"のスポークスマンは、自分の言葉に酔ってはいないか。終戦直後から50年間に、沖縄の人口が2倍にふくれあがったのは、米軍統治時代にガリオア援助やエロア資金といった、当時世界で最も豊かだった米国の援助があったからではないか。とくに米軍は、沖縄の人材育成に多大な功績を残している。
  現在沖縄の中核として働く50代から60代の約1100人は、かつて米軍の費用で米国留学した経験をもつ。また沖縄史上初めて創立された大学である琉球大学(現在は国立)も米軍が創立したものであり、大田知事はこのいずれについても恩恵を受けた一人なのである。そして今なお、基地内の米国大学分校で、のべ400名余りの沖縄県民が勉学に励んでいる。
  安全保障面でも、仮に米軍のプレゼンスが戦後の沖縄になければ、中国か台湾の支配下に入った可能性は否定できない。その際、台湾の二・二八事件のような再度の沖縄戦を経験していたかもしれないのである。
知事陳述「県民は、21世紀にわたって沖縄の基地機能がますます強化され、固定化されるのではないかと強い危惧の念を抱いたのです」
  あまりにも一方的な見解である。軍用地代で生計を立てている者の平均年齢は60歳以上で、地代がなくなれば今さら再就職もできず、返還されることに不安を抱いているという事実がある。さらに米軍従業員約8000人の大部分は、基地が撤去されることで職がなくなるのを危惧している。
  3月の中台危機の際、台湾から110キロの距離にある与那国町では、沖合60キロに中国のミサイルが着水し、さらに台湾軍の演習場が沖合40キロの地点にあるため、町民が非常なる不安を募らせた。入仲与那国町長が「自衛隊を誘致したい」と公然に発言している事実を、知事はどう受け止めるのだろうか。
  知事の陳述は日米安保にも及ぶ。
知事陳述「(私は)条約の即時廃棄を求めるものでもなければ、日米の友好関係を損ねようとするものでもありません」
  2015年には「米軍基地を完全撤去」と、知事は公然と発言しているではないか。そもそも知事が行政官として「象のオリ」の代理署名を行わなかったことは、安全保障上、すでに日米の信頼関係を損なっているのである。
知事陳述「しかし、安保条約が日本にとって重要だと言うのであれば、その責任と負担は全国民で引き受けるべきではないかと思っています。そうでなければ、それは差別ではないか、法の下の平等に反するのではないかと県民の多くは主張しているのです」
「法の下の平等」-耳ざわりのいい言葉である。それなら知事に問いたい。基地を本土へ移転するというなら、いま沖縄県が受けている高率補助、とくに県財政に占めている国庫補助率78パーセントも、比例配分して削除されてもやむを得ないという覚悟はできているのか?そうでなければ、「なぜ、沖縄だけ厚遇するのか」と他府県から指摘され、逆差別だと批判されても反論できなくなる。 戦前の沖縄を知る県民や、南米に移民した沖縄一世たちは、沖縄の米軍基地をもっと冷静に、かつ客観的に評価しているのである。
  沖縄の現状について、知事は言う。
知事陳述「復帰後は、政府は...振興開発計画を策定し、現在まで4兆数千億円の資金を投下して、インフラの整備を進めてきました。...残念ながら振興開発計画の基本目標である本土との『格差是正』と『自主的発展の基礎条件の整備』は思わしくありません。何よりも、自主的発展に結び付く産業の育成ができていません。県民の一人当たりの年間所得は、全国平均の約74%程度で、東京都の半分以下、全国で最下位の状態が今日まで続いています。おまけに失業率も約6%で全国平均の約2倍という状況で、とりわけ10代、20代の若年者の失業率は約12%に及び深刻です」
  沖縄経済の停滞は事実である。しかし知事は、その原因がすべて基地問題にあるとでも言うのだろうか。
  復帰後24年間で、沖縄に投下され振興開発事業費の総計は4兆2943億円。人口比で約1パーセント、面積比で0.6パーセントの沖縄によくぞ注ぎ込んだものだが、振興開発費の一部は糸満市や中城湾の埋め立てに使われたものの、そこには大型企業を誘致できず、空地には雑草が生い茂っているありさまだ。
  日本復帰の際、県は本土大手の製造業を誘致すべく努力したが、沖縄の労働生産性の低さと労働運動の過激さに気づいた本土企業は、ついに一社も進出しなかった。「格差是正」もお題目だけで、沖縄県民が本土並みに働いたかというと、ここにも大きな疑問が残る。それはすべて「基地」のせいなのか。「行政」には何の責任もないと胸を張れるのだろうか。
  数字を列挙して"悲惨さ"を強調するのは、あまりにもむなしい。県民一人あたりの年間所得は全国平均の約74パーセントというが、たとえば物価を比較すると、肉類の店頭価格で全国平均より約4割安く、自動車の保険料(自賠責)なども4割近く安い。言うまでもなく、生活レベルというのは、物価も勘案して相対的に論じるべきものだろう。
  県民の失業率、とりわけ若者の失業率については若干の分析が必要だ。
  最近の教育統計資料によれば、沖縄の現役高校卒業生の大学、短大への合格率は全国最低の22.9パーセントで、就職希望率も18.4パーセントと全国最下位にある。大学志望者は一応46.7パーセントにのぼるとされているが、結果的には高校卒業後、多くの若者がフリーターをなったり大学浪人となっている。
  一方、大学進学者をみると、地元の大学への進学が73パーセントをしめている(本土平均は36パーセント)。本土の一流大学へ進学を希望しても、なかなか合格しないため、一流大学合格率においては、他府県と桁違いに低い数値を示しているのである。
  そこで今度は大学卒業者の就職率をみてみよう。今春の大卒就職率は、全国平均93パーセントに対して沖縄は50パーセント。これはほとんどの新卒者が県内就職を希望しているためであり、彼らの意識の問題である。しかも本土へ就職した若者の中には仕事が長続きせず、Uターンするケースが少なくない。
  この、まさしく「深刻な」事態の責任を基地問題に押しつけてしまったら、大田行政は怠慢のそしりを免れまい。むしろ米軍基地は、彼らの雇用を創出してきたではないか。事実、沖縄の若者たちは、準国家公務員待遇で実力優先主義の米軍基地従業員の求人窓口へ殺到する。昨年、約900名の求人に対して約1万人が応募した事実を、知事はどう考えているのだろうか。
  大田知事は、こんな未来図を披露した。
知事陳述「沖縄県は今、自らの意志で、2015年をめどに計画的かつ段階的に米軍基地返還を求める『基地返還アクションプログラム』を作成し、21世紀の沖縄の方向を位置づける『国際都市形成構想』の策定を進めています」
  そんな夢物語が実現すると信じている県民は、ほとんどいない。国際都市構想にはまったく数値的な裏付けがなく、本土のコンサルティング会社がイメージしただけ、という話もある。その証拠に、県民から実施計画を問いただされると、「国の支援を得て...」と、他力本願の実状を公然と口にする。これもまた、基地撤去のための詭弁的要素が強いというしかあるまい。
  県は石垣島に空港一つ作れない行政能力しかもち得ず、たかだか130人余の空港予定地地権者の利害調整に戸惑っている。その程度の行政能力で、沖縄の軍用地主約3万2000人の利害をどう調整できるというのだろうか。

「国益」という概念の欠落

 地勢学上、沖縄の戦略的価値は戦後一貫して変わらず、日米両国とも基地の安定運用に腐心し、あらゆる援助を行ってきた。しかし今、沖縄県民の心理はそこから次第に離反していくかのように見える。マイナス面ばかりを強調する知事がなぜ支持され、沖縄県民の本音はなぜ封殺されてしまうのか。
  大田知事が米軍の費用でアメリカに留学し、米軍が創立した琉球大学の恩恵に浴したことはすでに述べた。知事だけでなく、いわゆる「沖縄知識人」たちは戦後、様々な特別優遇を受けてきた。
  たとえば地元出身の弁護士の約7割は復帰に伴う特例(沖縄の弁護士資格者等に対する特別措置法)で日本弁護士資格を付与された、いわゆる「布令弁護士」である、復帰前は琉球政府法務局職員や弁護士事務所事務員でも、勤続2年以上であれば琉球政府弁護士資格が与えられた。復帰の際、167名いた琉球弁護士のうち、本土で正式に司法試験に合格していたものは、わずか16名であった。
  同様に復帰前、政府は昭和28年より、沖縄出身で地元の小中学校を出た者に限り、やはり特例で、留学生として東大、京大など本土の一流国立大学へ進学させた。この恩恵に浴したのは2661名、うち1137名は医学歯学系だ。
  そうした人材が今、沖縄の中核的存在に育っている。しかし、彼らの言動の中に「国」とか「国益」とかいう概念がほとんど欠如しているどころか、むしろ「国」に対し敵対的な言動をする者も少なくない。
  マスコミのありかたにも大いに問題があるようだ。沖縄では本土の新聞が割高で、しかも半日遅れで届くため、ほとんどの県民は「琉球新報」か「沖縄タイムス」のいずれかを購読しているが、二紙とも偏った論調が目立つ。連日紙面のどこかに、米軍基地の被害か沖縄戦にまつわる記事が掲載されているのだ。

被害者意識だけで語るな

 昭和40年1月4日付け琉球新報「はたちのアンケート」の欄に、「沖縄戦で戦死したひめゆり隊、健児隊の行動をどう思うか」というアンケート結果が掲載されたことがある。その際、37.7パーセントの若者が「正しかった」と回答し、「正しくない」の26.7パーセントを上まわった。正しかったと回答した若者の多くが「与えられた任務に忠実だったから」という理由をあげている。
  この結果に対し、当時沖縄教職員会教文副部長だった福地氏が「沖縄戦に対する正しい評価がなされていない」と批判し、掲載紙の記者も「今からでも沖縄戦に対する正しい評価を与える必要がある」と記した。そして記者は、この欄の最後に、「米軍基地のある沖縄は決して平和でない」という文言まで付け加えたのである。
  それから5、6年後、彼らの"運動"が功を奏したというべきか、沖縄戦の被害だけを強調した抵抗史観で教育された青少年たちは、公然と日の丸、君が代に反対するようになり、批判主義的な行動をとる者が目立つようなった。
  ところが、皮肉なことに、それにまるで反比例するかのように、青少年のモラルは低落していくのである。たとえば沖縄県警の統計資料によると、沖縄の窃盗犯の発生率は刑法犯全体の93.9パーセント(全国平均87.5パーセント)、このうち侵入犯の発生が14.8パーセントで全国一。その大半が少年によるものであり、青少年による凶悪犯罪も増加の一途をたどっている。
  私が強調したいのは、県民はもはや理想論で沖縄問題を語るのをやめ、教育に象徴される基本的な要点において、他府県並みの水準にいかにして追いつくかを真剣に討議する必要があるということだ。
  沖縄では今、「平和教育」と称して、沖教組が国家に批判的な教育を行い、地元マスコミも付和雷同している。こういう実態を根本的に改善しない限り、いつになっても沖縄の自立などありあないだろう。大田知事に申し上げる。被害者意識だけで訴えても、何も解決しないのだ。

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